ここでは滋賀県内(近江)の北国街道を端から端まで紹介します。
といっても東海道や中山道のように宿場がしっかりあってというわけではないので、ホントにただ北国街道のルートを辿ったという感じになります。
鳥居本宿から北に、木之本宿を越えて県境の栃の木峠まで行きます。
ここでの北国街道とは、滋賀県東部の彦根市鳥居本町の中山道から分岐し、長浜、木之本を経由して福井県までつながる街道を指します。
北国街道と呼ばれる街道はいくつもありますが、ここで扱うのは滋賀県内の近江北国街道です。
近江というのは昔の滋賀の呼び方ですね。
宿場町は鳥居本、米原、長浜、木之本があったみたいで、速水が間宿として栄えていたそうです。
他に木之本から分岐して南東へ、伊吹山の麓を岐阜方面、関ケ原町につながる北国脇往還(ほっこくわきおうかん)というまた別の街道があって、昔は結構使われていた街道だそうです。
ちなみに長野県から新潟県を結ぶ北国街道が北国脇往還と呼ばれることもあるそうで、余計にややこしくなってます。
参考文献:「み~な びわ湖から Vol.116」
ルートや地図、情報などこれ一冊でほぼいけます。
滋賀県の北国街道のルートは開発によって原型をとどめていないところが多いうえに、東海道のように「東海道こちら」のような現代の案内看板も全くないため(昔の道標くらい)、適当に行ってどうにかなる感じではなく、
何かしらの参考資料が必須になってます。
一応サイトとか地図やルートの画像検索などもしてみたのですが、日本地図をなぞったような大きなものしかありませんでした。
上記のみ~なとは、長浜市のみ~な編集室というところが出版している地元誌で、116号に滋賀県内の北国街道のルートがイラストでほぼ全部載っています。
「ほぼ」というのは、線路などのせいで街道そのものが消滅している箇所がいくつかあり、迂回しているからです。
バックナンバーの購入もそのサイトからできますので、興味があればどうぞ。
「み~な編集室」で検索すれば出てきます。
協力して下さった方々に感謝します。
北国街道の南端、滋賀県彦根市の鳥居本宿から北に進みます。
ここの宿場町については中山道のページの鳥居本宿の項にて。
鳥居本宿から中山道を北に進むと国道8号線に出るのですが、その少し手前にある小さな橋を渡って荒れた道を進むと道標があります。
その荒れた道というのがホントに荒れてるのでわざわざ通る必要は無く、道なりに8号線に出て橋を渡ってすぐ右に行くとその写真の場所です。
左北国街道と書かれているので、ここから再び8号線に戻って北上、というのが北国街道のルートみたいです。
この写真の右側の細い道が中山道です。
米原宿は滋賀県で唯一の新幹線の停車駅のある米原市にあります。
国道8号線を進み、右側にある飛騨運輸米原営業所を越えてすぐの道を右に曲がり、道なりに進んでいきます。
しばらく進むとまた国道8号線に出るので右に曲がり、米原駅前の少し手前にある、右斜めに入っていける道に進みます。
この辺りは割りと街道っぽい感じです。
少し進むと湯谷神社の碑が立っていて、北国街道からは少し外れますが割りと近くに湯谷神社はあります。
そしてなんと!湯谷神社には移築された米原宿北村家本陣があります!
本陣を移築してまで残そうって普通ならなかなかならないのにねぇって思いながら説明看板を読むと、明治天皇が滋賀県内の巡行の時にもともと米原湊にあったこの本陣で小休止されたそうで、
どうもそっちが理由みたいで、そもそもこの説明看板のタイトルが「明治天皇小休所」っていうw
そりゃね、「昔大名とかが泊ってた宿屋」よりも「天皇陛下がご休憩なされたところ」の方が強力です。
私にしてみたら明治天皇が立ち寄ってくれたおかげで生き残った文化遺産ですよ。
もっといっぱい立ち寄ってくれたら良かったのに。
ちなみに入り口には柵がしてあって、中には入れませんでした。
本陣の割りにはこじんまりとしてたり、縁側や勝手口がアルミサッシだったりとかの謎があるのですがとりあえずスルーしておきます。
北国街道に戻ってしばらく進むと道標があるので、ここを左に行きます。
ここの説明看板には「北陸道中山道分岐点道標」とあって、「北陸道と中山道への連絡路の分岐点に建立された道標」とのことです。
私も詳しくはないのですが、近代になって同じ名称の北陸道ができたりして、一説によるともともと北陸道と呼んでいた街道を北国街道というようになったそうです。
国道1号線を現在の東海道と呼ぶようになって、東海道五十三次の街道を旧東海道と呼んでいるのと同じような感じですね。
右に進むと中山道の醒井宿。
北国街道は左です。
米原宿はこの辺りくらいまでな感じです。
少し進むと国道8号線に出るので渡って、8号線を少し北に進み、すぐにある橋を渡ります。
その橋のとこらへんから撮った米原駅方向の写真。
新幹線の停車駅なのと、東海道本線と北陸本線との分岐点でもあるのでなかなかの線路です。
その後道なりに進んでいくと、すごく分かりにくいのですが右斜めに入っていける道が北国街道で、その手前に「多良口」のバス停と北国街道の道標があります。
この写真は道を渡ってから逆方向(南)に向かって撮っています。
その後国道8号線を越えて、北上しながら天野川を渡り、堤防下の集落に降りていくように進みます。
そして今回の北国街道のルートの中で一番分かりにくかった箇所。
堤防から降りて割りとすぐです。
ここの細いところを進み、春日神社の中を横切ります。
隣に善照寺、行き過ぎると徳善寺がある手前です。
春日神社を抜けて、もう少し細い路地を進むと突き当たるので右に。
すぐに川沿いの県道に出るのでその横にある細い道が北国街道みたいです。
その後坂田小学校に突き当たるので右に。
すぐに県道234号線(556号線)に出るので左に北上します。
この辺りのルートが結構分かりにくいのですが、街道というよりも一般住宅の間を抜けて行く感じなので、そんなにルートにこだわらなくても良いような気がします。
米原市を抜けて、滋賀県長浜市に入ります。
平成の市町村合併で長浜市は超巨大化したため、このまま滋賀を抜けるまでずっと長浜です。
しばらく県道556号線を進み、見えないけど左方向にあるJR田村駅を越えてすぐぐらいの右手に多田幸寺の碑が立っているのでそこを右に。
そしてすぐ左に曲がり、突き当りを右に、鳥居がある方に進みます。
右手の病院を越えて十字路を左に曲がり、県道556号線を越えます。
すぐにある右カーブのような交差点を右に行き、突き当たるひとつ前を左に曲がり、次の交差点を右でこの道標。
病院からここまでの道が少し分かりにくくて、私は一度ここまで来た時に違うルートだったみたいなので病院まで戻ってもう一度ここに、という感じで無駄に往復してますw
ここも住宅を抜けるだけなのでそんなにルートにこだわらずに、この道標にたどり着ければ良いと思います。
この道標のところからは西に向かって踏切を越えて、琵琶湖の湖岸道路のひとつ前の橋を渡って北上します。
ちなみにこの北国街道ルートでは、ここが最も滋賀の水瓶琵琶湖の近くになるので、興味のある人は見に行ってください。
少し進むと左手に、ビワイチとか湖岸道路を走る人に有名な長浜びわこ大仏があります。
湖岸道路を走っていると、湖岸道路から見てなぜ逆を向いているんだろうと思っていたのですが、道で言えば先に北国街道があったからなんでしょうね。
少し進み線路をくぐる道を越えてから、戻るように線路下をくぐる歩道を進みます。
そしていよいよ長浜宿。
滋賀県内でも人気のエリアです。
宿場の雰囲気を残しつつ、観光地でもあり地元の人の街でもあります。
詳しくは「長浜の黒壁スクエアとかを街ブラ」にて。
ここではとりあえず黒壁スクエア手前のにぎやかになるとこらへん。
あと途中大通寺方面に進むとある、み~な編集室に寄り道。
開いていればお礼でも、と思ったのですが閉まってました。
誰もいないことが良くあるそうなので想定内です。
近くまで来たらまた寄ります。
行っていいものなのかは知らないけどw(土日は閉まっているそうです)
そして北国街道に戻って再び北に。
常夜灯を越えたところの交差点を右に曲がり
すぐに左にある細い路地を曲がり北に進み、三つ目の筋を左に琵琶湖方向に進み、踏切を越えて県道44号線を右に北へ進みます。
このへんもちょっと分かりにくいです。
まぁ「分かりにくい」ということが分かっていると分かりますw
北国街道はその後しばらく県道44号線を進み、国道8号線に出たところを斜めに横断するような感じで越えて、8号線のすぐ東隣の道を北上します。
途中北国街道を示す石板や、竹生島への道標などがあります。
姉川の手前で国道8号線に出るので8号線をしばらく北上し、唐国町で左斜めに入っていける道があるのでそちらに進みます。
その手前にある、西に進む道を行くとすぐに「山内一豊 初所領之地」という碑が建っています。
山内一豊は戦国時代の武将で、この後の木之本宿のところでも少し出てきます。
北国街道に戻って唐国町を少し進むと、途中右手に国道をくぐる道があるのが見えるのですが、そこを東に行くと小谷城跡があります。
登山部分だけで往復2時間くらいかかりますが、お城好きにはすごく良いので時間があるなら是非。
北国街道を進むと、突き当りにまた竹生島を示す道標があります。
ここを少し左に行くと下に降りる階段があって、その先の北国街道を見渡せます。
階段のところからもう少し左に行くと坂で下れるので、自転車の場合はそちらに。
説明看板にもありますが、この辺りの地名、湖北町「馬渡」は「もうたり」と読むそうです。
その馬渡を抜けて再び国道8号線に出ます。
少し進み、湖北高田町でまた左斜めに入っていける道があるのでそちらに。
み~なの記事ではこの通りに古くから続く商店と、止水板が置けるお米屋があるとのことでしたが、どちらも今は一般のお宅になってました。
北国街道はその後また国道8号線に出るので8号線を北上し、湖北町速水を抜けます。
高速道路の下を抜けてから少しすると右斜めに入っていける道があるのでそちらに。(タイヤガーデン共立があるところ)
その後突き当りを右に、次の十字路を左です。
地図上の落川高月線という道ですね。
途中に山岡孫吉(やまおかまごきち)の碑が建っています。
山岡さんはヤンマーの創業者で、小型ディーゼルエンジンの開発を称えられて、日本やドイツで賞を受賞しているそうです。
滋賀出身なんですね。
しばらく進み、市役所のところで突き当たると左手に国道8号線があるので、再び8号線を北上します。
少し行くと左手に「北近江リゾート」という温泉があります。
北国街道沿いで温泉はたぶんここだけなので、都合が合えばどうぞ。
木之本町千田あたりで右斜めに入っていける道があるのでそちらに進み、突き当りを右、踏切を越えて次の十字路を左に進みます。
その後突き当たりを右で、すぐを左が北国街道、真っすぐが北国脇往還で道標が建っています。
「みぎ 京いせみち、ひだり江戸なごや道」と書いてあります。
説明看板にもありますが、北国脇往還はここから岐阜の関ヶ原、大垣へ続きます。
ここに来る手前で田んぼが区画整理されてるせいでルートが分かりにくくなっていますが、特に何もないのでここの道標に来れたら良いと思います。
そしていよいよ木之本の宿場町です。
滋賀県内の旧街道沿いの宿場では結構人気があるみたいです。
詳細は近江北国街道木之本宿にて。
そのページでは北から南に進んでいます。
ここでは宿場については省いて北へ、木之本牛馬市跡を越えて、宿場町を抜けます。
宿場を抜ける少し手前に一里塚跡があって、切株が残されています。
ここもみ~なでは松の木が健在の時の写真が載っているのですが、現在はご覧の通りです。
少し進むと右手に北陸道賤ケ岳サービスエリアに行ける案内があります。
ここへは2か所入っていけるところがあって、南側(高速をくぐって行く方)はサービスエリアまで少し距離があるので、もう少し進んで北側からがおすすめです。
なお、ここ以降コンビニなどを含めたこういったお店は1軒もありません。(個人商店はあります)
なので特に補給食などの食べ物はここまでに買っておくのがおすすめです。
飲み物については自動販売機がところどころあります。
意波閇神社(おあえじんじゃ)を越えて北国街道は右斜めに進んでいきます。
ちなみに北国街道はここ以降、ほぼ国道365号線に並ぶように北上し、365号線を進んだり、左や右斜めに入っていくような感じで、地図が無くてもこっちだろうと思う方向が大体当たりです。
また、この辺から上り基調で、多少アップダウンはありますが基本上りです。
なので特に自転車だと距離の割りには進めませんが、同じ道を行って帰ってくる場合、帰りは3倍くらい早いです。
少し進むと右手に「菊水飴本舗」があります。
菊水飴本舗は江戸時代から飴を作っているお店で、ここが本店で滋賀以外では東京とかでも売られているそうです。
昔、割り箸で水あめをくるくる巻いてすくって食べたことありませんか?
あんな感じです。
添付の棒で巻いて食べてみましたが、スプーンの方が圧倒的に食べやすいですw
北国街道は一度国道365号線に出ますが、下余呉の信号を右斜めに進んでいきます。
しばらく進み、碑が建っているところをうっかり左に進んでいきそうになりますが、ここは右が北国街道のようです。
北国街道を挟んで向かいに旧余呉小学校があるところです。
なかなか良さそうな感じの建物なのですが、中には入れないみたいです。
その後突き当たったところは左で、すぐに右なのですが、細い路地みたいなところではなく、少し広い道です。
その先の道沿いに余呉小中学校がある道です。
しばらく進み再び国道365号線に出ますが、すぐに右で北陸道の下をくぐって行きます。
余呉町小谷を抜けて再び国道365号線に出て、しばらく365号線を進みます。
これ以降365号線を進むことが多くなるのですが、歩道も無いので気を付けて。
余呉町柳ケ瀬に入るところ、二股に道が分かれている真ん中に柳ケ瀬の石碑が建っています。
こういうのあると分かりやすくて良いですね。
ここは左です。
そこから少し行ったところの左手に例によって明治天皇が休憩した立派なお屋敷があって
今は一般の住宅になっているのですが、もともとは明治の頃に郵便局だったらしく、そしてその隣の建物
こちらは昭和の頃の郵便局で、そしてその向かいの建物
こちらは平成の頃の郵便局だそうです。
郵便局だらけっていうw
今は一般の住宅っぽいです。
少し進み倉坂峠の説明看板があるところを越えて、北国街道は再び365号線を進みます。
柳ケ瀬トンネルの方ではなく365号線をそのまま進み、左に下っていくところから余呉町椿坂に入ります。
ここも割りとすぐに抜けて、再び365号線を進みます。
どうもみ~なではこのまま365号線を進んだみたいなのですが、現在は新しい道(新365号線)ができていて、旧365号線方面はゲートで塞がれ通れなくなっていました。
そしてそのまま新365号線を進むと左下に旧365号線と余呉川上流端の看板が見えます。
み~なでも写真が載っていたところです。
そして新365号線はその後トンネルに入ります。
このトンネルが例によって歩道がすごく狭いトンネルで、そこそこ距離もあってずっとそれなりの上りです。
チラチラと時速を見ながら進んでいたのですが、楽にペダルを回していると時速12㎞くらいでした。
反対方向だと楽に回して時速40㎞くらいです。
個人的には旧365号線を通れるようにしてほしいです。
そしていよいよ、滋賀県の北国街道の北の最後の集落、余呉町中河内に入ります。
365号線沿いに小峠の冷水があって
そこを越えて少し行ったところを左斜めに入っていきます。
広峯神社を越えたところで再び365号線に出て、すぐに右に曲がった右手に本陣跡があります。
この時点で石碑の文字は結構分かりにくくなってました。
ここをさらに左に曲がって、すぐにまた365号線に出ます。
ここまででほぼ街並みは終わり、あとは福井県に向かって山越えになります。
ただここまでにすでに結構上ってきているので、ここからも同じ程度に緩く上りが続いて、滋賀と福井の県境手前に栃ノ木峠の説明板があります。
右奥の道路標識は「福井県」です。
ちなみにこの先の山並み。
旅人の心も折れるよw
さてそんな感じの近江北国街道でしたが、私は結構好きです。
滋賀には他に東海道と中山道の人気の街道があって、それと比べると何か残っているといえるものも少ないのですが、街道沿いに点々と人が生活する集落があって、それは多分江戸時代やもしかしたらもっとずっと前から、その家の先祖が住んでいたのだと思います。
そういった集落に入るたびに生活を感じるというか、ずっとこうして人の往来を見て来ているんだなぁと思います。
それと説明看板が割りと多くて、昔のことであったり地域のことであったりで、それも楽しめます。
道中にそれをじっくり読む時間がない時でも一通り写真を撮っておき、帰ってから読んでみるとまた楽しめます。
そういうのが好きな人にはおすすめです。
ルートについては東海道や中山道と比べてすごく分かりにくくなってて、地図や参考資料が無いと辿ることができないと思います。
もともと街道だったところが区画整理されて直線では無くなり、右左左右みたいな感じで迂回します。
そのルートをわざわざ辿る必要もないし、そもそも本来のルートでもないし、国道とかでスルーしてしまってもいいかなぁと最初は思ったのですが、そうするとその後北国街道がどれか分からなくなってしまうというw
もしルートを外れるとしても、戻れるように外れないと全く分からなくなりますね。
Googleマップでルートを引いて地図を貼っても良いのだけど、それが正しいとも言えないので、とりあえずは無しにしておきます。
滋賀県の北国街道のページでした。
他のページも是非ご覧下さい。
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